広瀬けいすけはなぜ政治家を目指したの
夕張市の財政破綻が、連日マスコミで大きく取り上げられていました。どこか他人事のように感じる方もおられるかもしれませんが、私が高校時代、寝屋川市は“財政赤字が日本一”のまちでした。それに加えて、市の中心を流れ、市の名前にもなっている一級河川の寝屋川も「全国の汚い川ワースト10」の常連という大変にひどい時期でした。 「故郷の寝屋川市を建て直す。」という目標をもって大学では、行政学や政治学などを学び、さらに!大学院では「市町村合併」や「市の財政問題」など、「市の経営」についての研究を専門に行ってきました。 「即戦力」で活躍するために、高校時代から28歳の市議会議員立候補まで、「10年計画」で準備していました。

家族が政治家か何かですか?
いいえ、身内に政治家などはいません。父は、自宅で文房具の卸しを営み、母と祖母がそれを手伝っていました。政治とは無縁の、ごく一般的な家庭で育ちました。28歳のとき、最初に、立候補するという私の決意を伝えた時の、父や母の驚いた顔が忘れられません。4つ離れた、顔がそっくりな妹が1人います。

最初、選挙資金はどうしたの?
高校時代から、28歳ではじめて市議会議員に立候補するまで、10年計画で準備していました。特に、大学時代のアルバイト代の大半を貯金しておきました。当初は、事務所も、持ち主さんのご好意で、長い間空き家だったものを無償でお借りをし、自分たちで屋根や壁を修理して、ペンキを塗って準備しました。今はなくなってしまいましたが大利元町の事務所です。まさに、「手作りの選挙」でした。
市役所ってなに?
“市役所は、特別なもの”と、考えることがいろいろな問題の根にあるように思います。私は、市役所はマンションでいえば、「管理人」に過ぎないと考えるようにしています。例えば、100戸が入居するマンションの管理人が、5人も10人もいるようでは多すぎます。100戸のマンションの規模に見合った管理人の数に削減する必要があると考えます。私は、我々の仕事は「4年間のプロ契約」のようなものだと考えています。市民のみなさんには4年間の“成果”をご判断いただければと思います。